
今回は、事業承継・M&Aが成立する経済的条件、即ち、どのような金額条件であれば、売手、買手双方のニーズが合致するかについて私見を述べます。
もちろん、会社の譲渡・譲受が成立するには金額条件が全てではありませんが、成立において、大きな構成要素であることは言うまでもないと思います。
したがって売手・買手双方の合意が得られる金額条件の考察には、一定の価値があると思われます。
ひとつの考え方として、ご参考にしていただければ幸いです。
希望売却価格収益率が投下資本収益率を上回ることが必須条件!
さて、売手・買手間で金額条件が合致するということは、売手の希望売却額が買い手の希望購入額と一致する必要があります。
それでは、売手の希望売却価格及び買手の購入希望価格は、どのように比較・検討すれば良いでしょうか?
筆者は、売手・買手の希望価格に対する対象事業の収益率を、比較指標とするのが妥当と考えます。
具体的には、売手の希望売却価格は、譲渡対象企業が稼ぐ収益との対比「希望売却価格対収益率」、買手企業の希望購入価格は「希望購入価格対収益率」の比率を、比較指標とするということです。
金額の多寡を論じるより、売手・買手の希望価格に対する対象企業の収益性(比率)を比較する方が、より双方の考えを共有することができると思います。
以下、それぞれを説明してききます。
希望売却価格対利益率とは!?
売手の希望売却価額対利益率は、譲渡対象会社が事業から得られる利益(税引き後営業利益)を希望売却価額で除した値、税引き後営業利益÷希望売却価額が買手の検討に際しての比較指標となります。
希望売却価格対利益率=税引き後営業利益÷希望売却価格
売手はできるだけ高く売りたいと願うかもしれませんが、根拠なく(根拠が弱く)高値を設定しても交渉となりません。
買手が取得したい譲渡対象物は、「事業から得られる収益そのもの」となるため、税引き後営業利益を希望売却額で除した希望売却価額対利益率が、買手の購入時の判断基準となります。
また、買手が取得したい対象は、「事業から得られる収益と収益を確保するための資産・経営資源」となるため、それ以外の資産や経営資源は、本来、不必要な承継資産・経営資源となります。
事業譲渡とは異なり、株式譲渡による事業取得は、その手続きの簡便性や税制面、許認可の承継等で有利な方法ではありますが、必要でない資産や経営資源も包括的に引き継ぐため、希望売却額の設定には留意すべき点が多々あると思われます。
買手の判断指標は、①投下資本利益率と②資本コスト
次に、買い手の比較指標として提示した希望購入価額対利益率ですが、こちらは、取得対象企業が稼ぐ収益(税引き後営業利益)を希望購入価格で除したものとなります。
また、希望購入価額対利益率は、言い換えると投下資本利益率(ROI=Return On Investment)となります。
希望購入価格対利益率=投下資本利益率=税引き後営業利益÷希望購入価格(投下資本)
そして、希望購入価額対利益率(投下資本利益率)を評価するに際しては、2つの尺度が用いられます。
ひとつは、買手の①運転資本利益率で、もうひとつは、②資本コストとなります。
①成長のためには、運転資本利益率の維持・向上が重要
運転資本利益率は、買手が、買手の事業を実施する上で、いくらの運転資本(投下資本)で、どれくらいの利益(税引き後営業利益)を獲得できているかを示す指標です。
運転資本は、負債資本と株主資本の合計額で、運転資本利益率は、買手企業がいくらの投下資本でどれだけの利益を獲得できているかを示す指標となります。
運転資本利益率=税引き後営業利益÷運転資本(負債資本+株主資本)
同業企業間の水平的な買収をイメージしていただくとわかりやすいかと思います。
買収企業にとっては、人材や設備等の経営資源を新規取得し得られる事業も、M&Aにて事業を買収するのも、どちらも事業を拡大する際の選択肢となります。
事業拡大の検討において、買手の運転資本収益率を上回る譲渡対象企業の買収は、自社の運転資本収益性を向上させ、買手の運転資本収益率を下回る買収は、その指標を低下させることとなります。
当然に、買手企業は資本効率を上回る買収には積極的買収のインセンティブが働き、資本効率を低下させる買収は二の足を踏むこととなります。
買収に際して、売り手との間に条件交渉の余地がある場合には、自社の運転資本利回りと同等以上の投資利回りとなるように買収条件を検討するか、PMI(Post Merger Integration)にて、買収後のシナジーを実現することとなります。
ただし、PMIは、相手方に高い経営能力があることを所与としてシナジーが発揮されるため、買収前にその不確実性を織り込んだ希望売却価格の提示は、事業承継・M&A成立の難易度が上がることとなります。
②資本コストは超過収益獲得の最低ライン!
次に資本コストが判断基準となる場合を説明します。
資本コストは、買手の運転資本をどれぐらいのコスト(費用)を支払って調達しているかを示す指標となります。
資本コストは、加重平均資本コスト=WACC(Weighted Average Cost of Capital)と呼ばれる指標が用いられ、負債資本コストと株主資本コストの加重平均合計値で、以下の算式から算出されます。
WACC=負債資本割合×負債資本コスト×(1−実効税率)+株主資本資本割合×株主資本コスト
- ※負債資本コストは、借入金にかかる利息等の利子率をいう
- ※株主資本コストは、株主の期待収益で、配当やキャピタルゲイン等の株主資本に対する期待収益率をいう
企業が超過収益を生み出すためには、この資本コストを上回る収益を確保すればよいため、資本コストを希望売却価格対利益率が上回る場合には、買収のインセンティブが働くこととなります。
一方で、希望売却価格対利益率が資本コストを下回る買収は、企業価値を毀損させるリスクが生じるため、検討に二の足を踏むこととなります。
このケースは、買手企業が多角的な事業経営を行っている場合や、バリューチェーンにおける垂直的なM&A、買手にない資産や経営資源の取得を実施する場合において成立する経済的条件となります。
ただし、本経済的条件は、買手の既存事業に成長余力がある場合は、積極的に実施される意思決定とはなりません。理由は、買手の会社全体の運転資本利益率を低下させることとなるからです。
買手の投下資本利益率を売手の希望売却価格対利益率が上回ることが重要な訳?
以上、売手・買手の売却・買収における経済条件を説明しましたが、事業承継・M&Aが成立するためには、以下の算式のいずれかに示すとおり、売手の希望売却価格対利益率が、買手の投下資本利益率を上回ることが重要と言えます。
希望売却額対税引き後営業利益率(売手)≧投下資本利益率(買手)
希望売却額対税引き後営業利益率(売手)≧資本コスト(買手)
理由は、買収した事業の、買収後の運営は様々なリスクを伴うからです。
リスクを乗り越えて、買収の意思決定が行われるためには、買手の投下資本利益率を上回るスプレッドがあるか(リスクを許容できる期待収益率がある)、高い経営力を誇る買手と交渉する必要が生じる(買収後に経営改善ができる)こととなります。
本記事のまとめ
以上、事業承継・M&Aの成立において、買手の投下資本利益率を売手の希望売却価格対利益率が上回ることが重要であることを説明しました。
本記事のポイントは以下となります。
- 事業承継・M&Aの合意・成立において価格(経済的条件)は重要である
- 売手は「希望売却価格対収益率」、買手は「希望購入価格対収益率」の比率を、比較指標とする
- 買手が取得したい譲渡対象物は、「事業から得られる収益そのもの」である
- 希望売却価額対利益率は、税引き後営業利益を希望売却額で除した値である
- 希望購入価額対利益率は、言い換えると投下資本利益率(ROI=Return On Investment)となる
- 希望購入価額対利益率(投下資本利益率)には、①運転資本利益率と②資本コストが用いられる
- 買手は資本効率を上回る買収には積極的買収のインセンティブが働き、資本効率を低下させる買収は二の足を踏む
- 資本コストを希望売却価格対利益率が上回る場合には、買収のインセンティブが働き、下回る場合は二の足を踏む
- 売手の希望売却価格対利益率が、買手の希望購入価格対利益率(投下資本利益率)を上回ることが重要
- リスクを乗り越えて、買収の意思決定が行われるためには、買手の投下資本利益率を上回るスプレッドがあるか、高い経営力を誇る買手と交渉する必要が生じる